腰椎椎間板ヘルニア手術・入院記

長年の腰痛に終止符を打つ時が来た。この度ついに「切除」である。
身体にメスをいれるのは初めてのことである。

どうでもいいけれど、入院・手術を受ける病院をGoogleで検索してみると、口コミがあまりかんばしくない。曰く、
「先生の腕はいいけど看護師の対応が悪い」
だの、
「手術まではよかった。しかし、あまりに居心地が悪かったので早々に退院した」
などなど、医療サービス周辺のホスピタリティの部分の評価が散々。

まあしかし、逆よりはよほどいいと思い直すことにする。
「看護師さんたちはとても親切で入院中はとても居心地よく過ごせました。ただ、先生の腕が悪くて、手術で殺されそうになりました(笑)」
というのでは恐ろしくて仕方がない。

3月5日 入院初日

午前10時。意気揚々と入退院窓口に赴く。
簡単な書類の記入などを行い、病室に案内される。病衣を渡され「着替えてください」と求められる。え、今ですか? と聞いてみると、今です、と即答。

病衣に袖をとおし、ベッドに寝転がっていると一気に病人気分が盛り上がってくる。

6人部屋であるため、わたしは新参者。牢名主のような人に挨拶した方がいいのだろうかと考えたが、みなさんカーテンを締め切ってそれぞれのプライベートエリアに引きこもっていらっしゃる様子。
看護師さんに「同室の人に挨拶とかするものなんですかね?」と聞いてみたところ、あまりあらたまって挨拶はしないのではないかとのこと。顔を合わせたら声くらいはかけるだろうけれど、と。それくらいの空気感。

この日は看護師の訪問もなく、支給されるご飯をベッドの上で食べて、本を読んだりネットを見たりしてだらだらと過ごす。

3月6日 手術前日

髭を剃っておいてください、と言われる。手術は全身麻酔。呼吸を確保するために酸素マスクをつけるので、髭が生えているとテープの固定がうまくないらしい。

ちなみに、術後はこんな感じです、と明るい調子でイメージ図を見せられる。

Oh…
どうやらだいぶ悲惨な目にあわされるようだ、という気分が盛り上がってくる。

この日は夜9時以降、一切の飲食が不可。のど飴なども禁止。9時前に水を飲んでおく。

3月7日 手術前

とうとうやってきた手術当日。朝の6時頃からバタバタと看護師さんが動いている。早朝から点滴をうちにくるらしい。看護師さんの足音がするたびに「来たか!」と思い、通り過ぎていくとほっとしたような落胆したような変な気持ちになる。毎朝の刑務官の訪れに怯える死刑囚の気持ちの数百分の一くらいは味わえたかもしれない。

やがてわたしの順番がやってきたらしい。二十代半ばくらいだろうか、看護師さんがやってきて「点滴いれますね」という。利き手を尋ねられ、右手だと答えると、じゃあ左手にしますね、と言って血管を探し始める。注射の針と違って点滴の針は太い分、入れる血管をよくよく選ばなくてはならないらしい。左手の手首より少し上あたりに決めたらしい。

「ごめんなさい。ちくっとしますよ」

点滴の針は太い。だから、注射の針よりも痛い。散々そんなことを聞かされた。どれだけ痛いのだろうかと不安になり、せめて直視はしたくないと目を逸らしていると、腕にちくりとした感触。
え? これのこと? という感じ。
確かに注射と比べるといくぶんか「重い」感じはするが、痛いというほどのものでもない。

そして看護師の口から漏れる「あっ」という声。「病院で聞きたくない声ランキング」の、たぶんそこそこ上位にくる声。
「すみません、針はちゃんと刺せたんですが、管が抜けちゃいました。もう一度させてください」
すでに一番いい血管を使ってしまっているので、二回目は一回目よりも難度が上がる。看護師さんはひととおりわたしの腕を眺めてから「すみません、別の者に変わります」といって去っていった。

10分ほど経って、年配の看護師さんがくる。「ん-」と悩ましげにわたしの腕を見て、「ごめんね、さっきのとこと近くなっちゃうけど」そう言って再びブスリ。しかし、残念ながら今回は血管を捉えられなかったようだ。「すみません、また後で別の者が来ます」そう言って帰っていく。

なぜ病院の連中は俺の腕に穴を開けて愉しむ、とやや恨めしく思い始めた頃、第3の刺客がやってくる。これまでで一番若い看護師さんはわたしの腕をひとしきり見てから手の甲を見て嬉しそうに言う。
「ここ、いいのありますね。手の甲でもいいですか?」
手の甲……なんとなく、感覚が鋭敏で痛そうな気がする。あと、見た目にも痛々しそうな……。
「手の甲って、痛いんじゃないんですか?」
聞いてみたところ、あんまり変わらないと思いますよ、とのこと。
「ご希望なら腕で試してみますけど……あんまり自信はないですよ(笑)」
非常に率直な申告である。これ以上無駄に穴を開けられてもつまらんので、ひと思いにやってもらうことにする。プスリ。確かに痛みは対して変わらない。先輩たちの失敗に続いての作業であるためか、前の二人よりも慎重に作業をしている感じがする。
「できました!」
言われてみてみると、確かに手の甲にばっちりチューブがはいって、透明なテープやらガーゼやらで見るからに頑丈に止めてある。

そこからしばしの休憩。昨晩から何も飲んでいなかったが、点滴のおかげで水分補給はできているのだろう。喉が渇く感じはまったくしない。

9時45分。手術室に入る。ストレッチャーに乗せられて運ばれていく。自動的に流れていく天井をボーッと眺めるというのはなかなかできない体験だ。手術室の手前で一時停止。名前を確認されて症状を確認される。手術のスタッフと看護師さんが再三に渡ってわたしの情報を確認している。
そういえば、昔、患者を取り違えて手術をしてしまった例があっただろうか。
「あれ? きみ、腰だったっけ? ごめんごめん、腎臓かと思って一個取っちゃったよ。腰ね、明日やるから勘弁して、ごめんね」
というのではたまらない。
医療過誤を防ぐ儀式を終えて、わたしは手術室に運ばれていく。見るからに強烈な光を放ちそうなライトの下に、手術台があった。ドラマなんかで良くみるアレだ。

麻酔科医と名乗る男性が自己紹介をしてきた。返した方がいいのかしらと思ったが、求められていなさそうなので黙って挨拶を受け入れる。酸素マスクです、と言われて口に透明なカップをつけられる。
全身麻酔は入れられてから3秒程度で意識が飛ぶらしい。自分はどれくらいだろうか、などと考えていると、麻酔科医が声をかけてきた。
「どうですか? もうだいぶボウッとしてきました?」
え? もう麻酔入ってたの? 意識はどこにも曇りがなくはっきりしている。
「いえ、まったく」
答えると、麻酔科医は無言で離れていく。
直後、手の甲に刺さった点滴から冷たい感触が。「この野郎、生意気な。これでもくらえ」ということなのだろうか。冷たい感触は痺れた感触に変わり、それが肘のあたりまで登ってきて……。そこでわたしの意識は途切れた。

3月7日 手術後

目が覚めると手術は終わっており、特別監護室のベッドの上だった。

手術、怖かった?
人からそう聞かれたなら、わたしは「手術は怖くない」と答える。何しろ、上述のとおり、麻酔が入ったと思ったら、次の瞬間にはもう手術は終わっているのだから。主観的には「始まるよー、終わったよー」くらいの時間感覚である。

そして、術前にあった尻からふくらはぎまでの痛みと、腿から足先までの痺れはきれいさっぱり消えている。通常、足先の症状は時間をかけてゆっくりと消えていくものらしいが、わたしの場合は幸運なのかなんなのか、椎間板ヘルニアの不快な症状はたちどころに消えてくれた。

では、「手術お勧め?」と聞かれたなら。
「お勧めはできない」とわたしは答える。なぜか。術後の24時間が苦痛すぎるから。

術後の3時間ほどはあっという間だった。ボーッとしているうちに時間が過ぎていて、看護師に時間を告げられて時間の経過に驚いたほど。しかし、徐々に意識が覚醒してきて、そこからが長かった。

切開した箇所とは別に、内部に血腫ができないように血抜きの管が埋め込まれている。この管が抜けてしまわないように、術後は行動が制限される。具体的に言うと「寝返りはうたないでください。寝返りをうちたかったら看護師を呼んでください」ということである。褥瘡のできる高齢者の気持ちが少し分かろうというものである。そしてもうひとつ。

立って歩けないので、トイレにも行けない。よって、手術中に導尿カテ-テルが入れられている。膀胱内に留置されているこれが無意識のうちに尿を体外に排出してくれているという具合である。非常にありがたいはずの、なくてはならないものであるはずの仕組みなのだが、残念ながらこの相棒は若干自己主張が激しい。
常に内側から下腹を圧迫して絶え間なく鈍痛を送ってくれるのだ。看護師に頼んで姿勢を変える時にうっかりこれを引っ張られてしまうと、「膀胱をもっていかれそうになる」という希有な体験ができる。

腰に力が入らずろくに身動きもできず(乱暴な扱いをされたくないので看護師を呼びたくなくなり、自分でなんとかしようという気になった)あちこちが固まって痛む身体をなんとか少しずつ動かして姿勢を変え、下腹の疼痛に呻きながら眠れぬ夜を過ごす。

22時、23時、24時。夜は始まったばかりだ。睡魔はまったく訪れない。
「傷は痛みますか?」と看護師に聞かれる。痛ければ痛み止めが入るそうだが、傷の痛みはない。ただ、同じ姿勢で寝続けているので身体のあちこちが痛い。
1時、2時、3時。 長い苦痛の時間に耐えてスマホの時間を見るたびに落胆する。まだ10分しか経っていない…。
時おり看護師が訪れて熱を測ったり血圧を測ったり、尿パックの中身を捨てたりしている。水は一滴も飲んでいないが点滴のために尿排泄はある。点滴外して導尿カテーテルも外してくれ、と本気で思う。
4時、5時。間もなく明け方だ。
6時。窓の外が明るくなってきた。病院内の人の動きが活発になってきたのが聞こえてくる。
7時。酸素吸入のマスクが外される。
8時半。執刀医がやってきて傷や血抜きの管から抜けた血を見る。

すがるような気持ちで「この管(血抜きの管と導尿管)今日抜けませんか?」と聞いてみる。
「そうですねえ。この手術だと標準的には術後2日目に管が抜けるんですが……あー、もう(抜けた血が)だいぶ薄くなってますね。抜いちゃいますか?」
「はい、ぜひに」

そういうことになった。

3月8日 手術翌日

たっての希望もあり、術後翌日に血抜きの管と導尿管を抜くことになった。まずは血抜きの管から。
しっかり、しっかり固定するテープがはがされる。
「抜く時ちょっと気持ち悪いですよー」
言われたとおり、自分の背中の中を何かが動く変な感じがする。聞いた話によると、抜けてしまわないように、外でも固定しているし、身体の中でも固定しているらしい。こんなもの、多少寝返りをうったくらいで抜けはしない。

「寝返りうったくらいじゃ抜けないんじゃ?」
聞いてみると、看護師は頷いた。
「まあそうなんですけど、抜けちゃうと大変なので、念のため」
じゃあ寝返り厳禁とか言うな!

続いて導尿カテ-テル。抜く時気持ち悪い、というなら、こちらの方がよほど気持ち悪そうである。聞いてみると頷かれる。
「そうですね。男性は特に気持ち悪いっていう人が多いですね。はい、深呼吸ー。吸ってー、吐いて-、吸ってー、吐いてー」
ずるずるずるずるずるずるずる…!
内側を擦られる怖気の走る感触。

「吐いてー、吐いてー、吐いてー」
もう全部吐いちゃったよ! そう思ったちょうどその時、全部抜けた。なんていうか、
「うぎひぃぃぃいぎぅぅぅぅぅぅ!」
て感じだった。

ともあれ、これで点滴以外の不快な管がすべて抜けた。椎間板ヘルニアの痛みは去り、術後の傷の痛みも無視できるレベル。わたしの安眠は約束された。

一晩苦痛に苛まれていた身体は汗まみれ。
「身体拭いてあげましょうか? それとも、自分で拭きます?」
と聞かれて、背中以外は自分で拭きます、と答える。
そして、看護師さんの手を借りて下着をつける(術後、この時点まで局部を覆うT字帯以外は全裸)。
術後の身体がうまく動かせない時に脱ぎ着がしやすいように、ということで、前開きのシャツをもってくるように病院からは求められていた。マジックテープのものを求められていたが、見つからなかったのでボタンのもの。しかし、特に問題なし。

この日の昼から通常の食事が始まる。食欲などなかったが、いざ食べてみると食べられるものだった。ただし、ベッドの上で姿勢を保持するのが非常に辛い。本当に腰に力が入らず、上半身側を最大限に起こしたベッドと身体の間に枕を入れてなんとか支えにして姿勢を保持する。

食事は食べやすいようにということでおにぎりにしてくれている。しかし、食事の前に手を洗えず、また食事の後にも自由に手を洗いに行けない(トイレに行きたいといえば看護師が車椅子で連れていってくれるが、おっかない看護師に来られると腹が立つので極力呼びたくない)ので、なるべく手を汚したくない。というわけで、せっかくおにぎりにしてくれているのだが箸でいただくことになる。苦労をして苦労をして食事を終える。

通常であれば血抜きの管と導尿管が入って寝たきりのこの日。たっての願いで2本の管を抜いてもらえたとはいえ、床上安静を言い渡されているため、固まった全身をなんとか伸ばしながら居心地のいい姿勢を探す。この天井だけがわたしの世界。

そうして…いつしか眠りについていた。

3月9日 歩行訓練

この日になると、だいぶ腰に力が入るようになってきて、ベッドの上で寝返りをうつ分には不自由がなくなってきた。 わたしの運動能力は、すでに新生児を超えている。

加えて、この日からは歩行器を使っての歩行訓練が始まる。「あんよがじょうず」を習得すれば、一気に1歳児くらいまでの進化を果たすわけである。連中が1年ほどをかけてよちよちと歩く道を、たった2日で制覇しようという壮図である。

午前中には生まれたての子鹿のようにプルプルと震えていた下肢も、午後には力を取り戻していた。歩行器を使っての歩行に不自由はなくなった。病室のある4階からエレベーターを使って1階に降り、コーヒーを買えるようになった。普段は1日4~5杯のコーヒーを飲むわたしである。ようやく「生活」ができるようになってきたという実感が湧く。

ふと気がつくと、6人いたはずの病室から、いつの間にか1人がいなくなっていた。若いお兄さんだったので退院したのだろう。

3月10日 洗髪できない時は蒸しタオル

まだ入浴の許可が下りない。温めた大判のウェットタオルが毎朝配られるので身体はそれで清拭できているが、頭はそうはいかない。そこで一計を案じる。

バスタオルを水で濡らす→電子レンジで温める→頭に巻いて頭髪と頭皮を蒸らす→乾いたタオルで擦る

繰り返すと、ある程度はさっぱりできるし、汚れも落とせる。シャワーの許可がでるまではこれでしのいだ。

屋上に洗濯機があるので汚れ物を洗うことにする。コイン式だというのはあらかじめ確認済み。小銭を持っていってみると……あれ? 洗剤って要持ちこみ? コインランドリー方式だと思っていたので、てっきり洗剤も勝手に入ってくれるものだと思っていたのだが。
残念ながら本日は日曜日。1階の売店もお休みなので洗剤を手に入れられない。洗濯は翌日に持ちこし。

消灯は21時半。こんな時間に寝てしまうと、何もなくても5時から6時には起きてしまう。そして、夕食後にはロキソニンだのリリカだのの鎮痛薬を飲むことになっている。そんなものを飲まなければならないような痛みはないのだが、薬をちゃんと飲んでいるかどうかをチェックされるので飲む。そんなわけで、夕食を食べて薬を飲むと強烈な眠気に襲われる。夜の7時から8時くらいには寝てしまい、ほとんど日の出とともに目が覚めるという素晴らしく健康的な生活習慣が身につく。

3月11日 リハビリ開始

リハビリ室にて理学療法士の指導を受けてのリハビリが始まる。ストレッチ、筋力トレーニング、歩行練習というメニュー。
「明日から歩行器なしでいいですね」と言い渡される。

昨日のリベンジで売店で洗剤を購入して洗濯をする。事前に少量の洗剤を用意しておくべきだったと反省。短期間の入院なら何十回とは洗濯しないだろうから、5個入りなどの少量の分を割安なネットショップであらかじめ購入しておくといいでしょう。

3月12日 シャワー解禁

待望のシャワー解禁日。ただし、シャワーを浴びた後でリハビリで汗をかいてもつまらんので、シャワーの時間予約はリハビリの後とした。

リハビリでは筋力トレーニングが初日より少し強くなる。腰の悪い人向きの腹筋運動は目から鱗。胸の前で腕を組んで、へそを覗きこむつもりで上体を起こす。この時、腰は動かさない。しかし、確かに腹筋に負荷がかかる。
立ち方、歩き方を見てもらうと、わたしの場合、重心が後ろに偏っているらしい。まっすぐに矯正してもらうと腹筋が辛い。普段立って歩いている時に、いかに腹筋に楽をさせているかという証拠だろう。
これを機に腹筋を鍛えて腰に負担がかからない立ち方、歩き方を身につけなければならない。

シャワー。脱衣場に鏡があったので傷を見てみる。今回の手術は小さな傷から内視鏡を入れて施術するというもので比較的、傷は小さいのだが、それでも目立つといえば目立つ傷がひとつ。そして、テープに隠された小さな穴が一つ。
背中の傷なんて、土方さんに見つかったら腹を切らされちゃう(>_<)
などと感慨深く眺める。

ちなみに、血抜きの管が通っていた穴はテープで塞いであるが、切った傷は剥き出し。大きい方の傷が剥き出し? と疑問に思って「なぜ?」と聞いてみたら「ボンドで固めてあるからそっちはテープでフタしなくていいの」ということらしい。

ボンド……。

なお、おそらく多くの病院でシャンプーやボディソープは要持ちこみであるため、事前に準備をしておいた方がいいと思われる。

そして、綿棒なども事前準備しておいた方が余計な出費を抑えられるが、これはあまり少量のものを見つけられなかったので、家から必要な本数をもっていくなどの方がいいかもしれない。

3月13日 歩行器没収

普段は歩行器を使っていないが、歯を磨いたり洗い物をしたり、立ちっぱなしになる時には使っていた。が、看護師に「いります?」と聞かれた。片付けたがっているっぽいので持って行ってもらう。

この日、1人が退院。6人部屋が4人部屋になった。

3月14日 ひとりでは退院できない

退院の話。15日に医師が傷を見て経過が順調なら16日の退院が可能だろうということ。「いつならご家族に迎えに来てもらえそうですか?」と聞かれて「迎えがいりますか?」と聞き返したら笑われた。
「退院ですね、じゃあ帰ってください、ばいばーい」
というわけにはいかないらしい。一人で帰ろうと思ってたんだけどなあ、と言うと、「ダメです」と若い可愛い看護師さんに言われた。じゃあしょうがない。

この日も1人が退院。6人部屋が3人に。

3月15日 最後の晩餐

傷のチェックも問題なく、翌日以降の退院許可が下りる。入院生活最後の1日をしゅくしゅくと過ごす。

この日もまた一人が病室を去り、6人部屋が2人に。

3月16日 退院

朝食を食べてしばし食休み。それから出発の準備をする。これまで話したことのない看護師さんに「ご家族の方、来てくれます?」と聞かれる。なんだ。ナースステーションでお茶請けにでもされたのだろうか。
はい、大丈夫です、と答えて出発の儀式。ナースステーションにたまたま(?)担当医もきていたので挨拶を済ませる。事前に呼んでおいたタクシーに乗り込み、自宅へ。

こうしてわたしの人生初の入院生活は終わった。

メモ

  • 髭そりはエチケットではなく、施術上の必要のため。髭があまり生えない、髭を剃らない人も用意が必要
  • 点滴の針は言うほど痛いわけでもない
  • 手の甲に点滴をしても別に痛みは変わらない
  • 人によっては口からの麻酔はあまり効果がない
  • ただし、点滴から麻酔が入ると秒殺
  • 術後の傷の痛みは無視できるレベル。ぎっくり腰の方が何倍も痛い。
  • 血抜きの管(と導尿管)が抜けるのは術後2日目。ただし、経過と希望によっては翌日もあり
  • 血抜きの管はそうそう簡単には抜けない。抜こうと思って努力しないと抜けない。
  • 蒸しタオルで頭髪と頭皮を温めて乾いたタオルで擦れば、2~3日なら洗髪の代わりになる。
  • 一人では退院できない
  • 椎間板ヘルニア手術での入院期間は10日前後

3月20日 椎間板ヘルニア手術費用

追記。退院が土曜日だったので病院の管理部門が動いておらず、請求額の確定、支払いは後日ということになっており、改めて支払いに出向く。

締めて840,000円弱。ただし、高額療養費制度を利用していたので、本人負担額は85,000円あまり(+食事代で100,000円弱)。概ね想定通りの額。

1ヶ月後に再診、MRIなどを撮って異常がないことを確認しに行けば概ね終了。

コメント